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2007年12月27日

マイルに参る その3

今日、お昼の仕事終了後、博多郵便局に伺い、ANAのVISAカードを受け取ってきました。

超うれしい、カード利用限度額が、最低ランクではない♪
そこまでは、私の暮らし、ひどくなかったということね。
本当に、よかったです。

『マイルに参る』
『マイルに参る その2』
↑このふたつで、本当に紆余曲折あったから。今までのことを思うと、しんどくて泣きたくて。
でも、本当に5年ちょいの福岡暮らし、ここまで、よくがんばって成り立たせてきました。

今後は、ゴールドカードをつくれる状況にしていくぞ(つくらなくてもいいから)! 地味な私の目標です。

単純にうれしいから、これにはバッチは全く必要ないです。

一応これでひと区切り、飛行機代金の問題、ひとまず解決です!!

2007年11月22日

明日、11月23日から

もう、親しい方々には、かなり前からご連絡差し上げているのですが、明日、平成19年11月23日(金)勤労感謝の日から、茉莉花叢書、プチ商用化のスタートです。

バッチがらみのことでは、どこまでまわりの方にお世話になったら気が済むの? と正直思えちゃうくらいあちこち筋からめちゃくちゃお世話になりつつ、平成18年1月2日から、バッチフラワー普及の活動を、冊子づくり、すぴこん、モニター募集、早朝談話会、その他もろもろとおこなってきました。

ここまでは、人生の楽しみのみ、がメインの活動でした。
明日からは、人生の楽しみはもちろん、きっちりこちらが財政的にも安定しつつのバッチフラワー普及活動となります。きっとこれは私のライフワーク。

はじめの一歩の気持ち、「日本全国、いつでもどこでも誰でも普段から、バッチフラワーを使える時代をつくること」これだけは、なにがどうなっても忘れないこと。
ひとつの、福祉の活動であること。
この2点だけはしっかり頭に置いて、地に足つけつつ、現実的に活動していきたいと思います。

ここまで応援してくださった色々な方々、そして色々な状況に大感謝です。
今後とも、ご指導ご鞭撻、どうぞよろしくお願いします。

色々な状況が変化し続けていますので、【ウォルナット】を今の環境の変化に慣れるため飲みまくっているのですが、それにしても対応しきれない気分です。
多分、バッチを飲んだとしても、それだけの変化を感じなきゃいけない時期なのだと思います。

しばらく、こんな気持ちは続くかも。まだ年末ではないですが、本当に激動の1年でした。

2007年11月09日

早朝ワーク、リタイアできず

先日、使うと『実験コーナー』で書いていた【ウォルナット】と【バーベイン】。
ミネラルウォーターを切らしていても、買う時間と心と体力の余裕がない。しかもバッチを組み合わせて使う気力も全くない。これでは『実験コーナー』コンセプト、自分が使って結果を正直に書く、が実現できない。

なぜって?
正直忙しすぎるからです。もうとことんまでやって、私は限界です。本当に、よくここまで頑張りました。

先月伺った、愛媛東京で、色々な楽しい話が進みはじめ、つくりたいもの、やりたいこと、やるべきことが多々増えました。
このまま早朝ワークを続けていては、絶対何もできない。家に帰ってごはんを食べたらすぐに眠るくらいの状態が何日も続いていました。

何のために早朝ワークをはじめたのか? 自分の人生立て直すためですよ(別に、どうしようもないぼろぼろ状態になったのではないですが~)。
ねえ、それなのに、早朝ワークで破滅していては、意味がございません。

早朝ワークは、本当に大好きで、本当にみんな親切でたくましくて、それぞれの立場や与えられたものを活用して全力でがんばっているのを日々観察しています。日々感謝感激しまくっていて、やめるのは本当に悲しいのですが、やめることを上役に伝えました。

そしたら、「人数が全然足りないので、大内さんの都合のいいときだけでいい、さらに遅刻も全然構わない、来ないよりいいからできるところだけでも来て」って話に。

今、8人定員のところを、実質3人でやっています。
私が減ると、2人になってしまう。
早朝からの結構ハードな肉体労働を好む方は、そうそういない模様です。

決してやめたかったわけではないんです、この職場には、恩義が多々あります。
本当に毎早朝が楽しい。色々な生き方を教わりました。

早朝と夜には、バッチのことを最優先にするのはもちろんですが、それだけ守って早朝ワークも続けようと思います。
「いつでも人数が足りたらやめますので言ってくださいね」とだけ伝えて。

本当に、本当にこんな経験をありがとう。幸せです。

2007年03月20日

福岡県西方沖地震

2年前の今日は、日曜日、いいお天気でした。
とある福岡市内のビル11階で模擬試験中に、いきなり体全体を強く揺すぶられて。
エレベーターは使用不可。ビルのガラスは大きく割れて。別のビルの窓ガラスは、ぼろぼろに崩れていました。

緊急事態のため、模擬試験は中止。仲間4人とマックでごはんをした後、近所に住む仲間の家の地震後の、片付けに行きました。でも、ものすごい揺れだと聞いていた中央区なのに、意外と簡単にお片づけ終了。だから、『きっと、うちもたいしたことはないや~♪』と思いつつ、午後3時くらいに自宅に戻る。

でも、家の付近を見てびっくり! 近所のブロック塀はばらばら落ちているし、自宅の壁にはヒビが入っているし、カギがかかっているはずのうちの部屋の窓が全開。

『多分家の中は、すごいことになっているはず』
階段を急いで上がり、見たのが、この写真の風景。

2005.03.20 自宅の状況

足の踏み場もございません。テレビも食器棚も、みんな落ちちゃいました。バラバラものが壊れ、冷蔵庫は全開(すぐに閉めました)、場所も勝手に移動している。しばらく、呆然でした。

博多区は比較的揺れていないと、情報を受けていたのにー。
ヒール靴をスニーカーに履き替え、お掃除スタートです。

まずは軍手着用。ガムテープと新聞紙を片手に、ゴミ袋に割れたガラスなどをどんどん詰めていき、電気は何とか使えたので掃除機もかけ。何とか眠れる状態になったかな、と思ったのが午後8時。
食べ物を買いに近所のコンビニに行くと、簡単に食べられるものはほとんど売り切れ。考えることは一緒だわ、きっとみんな片付けでくたくた。

阪神大震災とは全く比べ物にならない状況のはずです。でも、本当に怖いしばらくを過ごしました。
翌月4月20日にも同じ程度の揺れが早朝にあり、またもや同じお掃除と恐怖の繰り返しです。その後も数ヶ月間、余震がかなり続きました。

先月の第1回長崎すぴこんで、お客様と、福岡県西方沖地震が怖くて仕方なかったという話をして、あのときのことを思い出し、私が泣けてきました。あのときのお客様、心配をおかけしてごめんなさい。きっと、辛い記憶を持つのは一緒ですよね。

私は怪我もなし、家のドアが閉まらなくなったといったこともなし。大事な人を失ったわけでもありません。それでも今も衝撃は残っています。

場所や状況によって、どう怖いかということなんて、近隣の場所に見えても全然違って。その人の立場になってみなきゃわかんないよって痛感しました。

そのときは、バッチフラワーにはめぐり会っていましたが、原液はほとんど持っていませんでした。当時受けていた、バッチフラワーのコンサルテーションのタイミングも合わず、辛かったです。
レスキューだけでも飲めたらよかった。忙しすぎて気持ちを感じる余裕もなかった。自分で『やばい』って気づくこともできなかった。

自分に余裕がなければ、周りに対しての気配り思いやりも”本当”のところは、私には無理。
無理じゃない人を、本当に尊敬します。

何かの助けって知れたものです。本当に大変なところ、辛いところは自分で越えるしかないです。
でも、バッチフラワーが、そういうときの助けになれば本当に嬉しい。
小さいことのようで、かなりな助けになるものだと思いますので・・・。

今日、このまま辛かったら、レスキューを、この後ちょっと飲んでみようと思います。
2年前は変えられないけれど、今は変えられます。

今回は実験なしで書いてみた、はじめての「実験コーナー」ブログです。