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2011年03月20日

【本日6年目】福岡県西方沖地震

私はいまだアナログ放送派の人間です。



アナログテレビのサイズで、アナログ放送を継続している方は、東北地方太平洋沖地震前の段階で、画面の上と下がデジタルに合わせて黒くカットされていて、「デジタルに切り替えを、お早目によろしく♪」といったテロップがしつこいくらい流れ。
その、すでに切り取られている画面が、デジタル放送の画面にあわせた環境にて、さらに左横や下側に、緊急速報系統のテロップが流れ、さらに画面が切り取られて放送されているというのが最近の状況。



おまけにacの宣伝放送においては、上も下も左横も右横も切り取られた、とんでもなく画面が小さくなる状況に置かれてしまっています。
もともとアナログ14型、ブラウン管の小さいテレビ画面が、さらに小っちゃい画面で楽しめます。




さすがに文字が小さすぎて、最近よく見えません。
お昼の仕事で目も酷使しています。せめて目に優しいテレビを見たい。



一念発起して、ごく近所のヨドバシカメラにテレビを買いに行くと、エコポイントの関係なのか何なのか、テレビをお買い求めのお客様がとんでもなく多い。
「購入します」と、店員さんと話をする必要があるのですが、店員さんの手が空くまで、15分程度待ったかな。
代金を払うまでにも、レジ前で15分程度待ったかな。


でも平日は残業で帰宅が遅くなる可能性が大。割とお値打ちなテレビだったので、今日購入しておく必要があったのです。





とにもかくにも、明日には新しいテレビが到着します。




レジ前で代金を払うために待っていると、レジ前に災害グッズが小さく地味に置かれていて。
2005年、福岡県西方沖地震、と小さく書かれている。
テレビの固定道具やらテレビの角をカバーする道具やら、相当地味に売っている。



ああ、そういえば、あれから6年経ったんだ。
東北地方太平洋沖地震の影響で、私が見ているテレビやネットでは何の話も出ませんが。
一応、福岡県西方沖地震もマグニチュード7、最大震度6弱はありましたし(そして遭遇したときに私は震度6弱の場所にいたし)、当時の自宅から徒歩数分のごく近所の方が亡くなりましたし、決してどうでも地震ではないはずですけども。
規模が違うといえば、それまでですけれど。



新しくテレビを買うから、最低でも揺れをカバーするジェルマットは必要だなと思う。
明日でもまた買いに行こう。





というのが、今使っているテレビがこのマットを使っていなかったことにより、いちど西方沖地震のときに棚から飛び出して落ちちゃったから。画面が割れはしなかったけれど、テレビそのものは傷ついた。
画面が割れてしまったら、危険だよね。



福岡の近隣で住んでいる方以外は、ほとんど興味がないでしょうが、
ちょうど翌月、4月20日にも、ほとんど似た規模の地震があって、3月20日と同じように、お皿やら、割れ物が壊れて、再び3月20日と同じようにお片づけをしたんだけど(当時は、余震続きで、割れたガラスの破片対策として、部屋ではやむを得ず土足にしていたので、もういい加減にしてくれと思っていた)、テレビだけは対策を講じていただけあって、飛び出して落ちたりはしなかったよ♪



東京とか都心付近で、「ショックだった」なんて、もしも自分のこととして他人に話したら、
「震源地付近の人に比べたら(そんなこと言っている場合じゃないでしょ?)・・・」ってまわりからいわれるだろうし、
「命があるから大丈夫」とか、
「家もあるから大丈夫」とか、
「たいしたことない」なんていわれるのはわかりきっているだろうし、
自分中心の立場で、ショックだということを表現すれば、根性なしだとか思いやりのない奴とか、いわれたり思われたりするかもしれないけれど。





でもね、ショックだったこと、あまり我慢しないで欲しいと思うのです。
たいしたことない、だなんて思いこもうとしないで欲しい。
それだけは本当に思う。
人には話さなくてよいから、自分の気持ちには嘘をついたり封じ込めたりしないで。



今回の震災で東京近郊で受けた被害って、たいしたことないってゆったって、結構な規模でしょ?
東京だって、震度5強でしょ?
おまけにしょっちゅう余震はあるし、原発がらみのニュースだって流れてくる。
震源地に比べたらたいしたことないって、そりゃあ物理的にはそうかもしれないけど、ショックなことには変わりないよね。

私は、たかが最大震度6弱の経験ですら辛かった。
家族も友達も亡くしていない、怪我もしていない。
余震は、それだけでも恐怖です。


終わってみれば、それだけで終わりってわかるけど、続いている最中は、それだけ、だなんてわからない。
あの頃はバッチフラワーを知っていましたが、今のようにふんだんにボトルがそろっているわけではなかったので、結果として、なかなか飲めなかったようです(もうすっかり忘れかけている)。正直、まわりの被害を受けた人に比べたら、たいしたことないからって言って、まわりに配慮している振りをしないといけないことが、きつかったかな。





たぶん買占めとか、そろそろ終わりに近づいているよね。福岡なので情報も遅いけれど。そう信じています。
どんな辛くても、気分を落ち着けたくても、現在、配慮しないといけないのは、このタイプのものごとだと思われます。

今回に比べたら、相当中途半端な意味での地震を経験している身から思うことです。





そういうことを、今のアナログテレビを処分するための準備をしていたら思えてきて、ブログに書かせていただきました。
ここまで思い入れのあるテレビだとは、思ってもみなかったです。



明日、早朝に、アナログテレビは、引き取っていただきます。
辛いときも楽しいときも、このテレビは兄から譲り受ける前の期間も含めて、約15年間使わせていただきました。
ほんとありがとう。
最終的に、リモコン機能だけは壊れていましたが、テレビとビデオ機能には何の問題もなかったです。
すごいぞ日本のテレビ。ちなみにシャープ。

15年間ありがとう!アナログテレビ
新しいデジタルテレビ、明日からよろしくね。

2011年03月16日

東北地方太平洋沖地震

NHK総合テレビばかりみています。
あたたかい部屋で、普段どおりおなかいっぱい食べつつ。
ワイルドローズのバスソルトを入れた、贅沢なお風呂に入り、3月3日にオープンした博多阪急で、お惣菜やら生活を楽しくするお買物をふんだんにして。
博多阪急がオープンしたせいか、最近会社でまわってくるお菓子も高級系。
1個200円とか。たかがクッキー1個とかマカロン1個、それでも当たり前にありがとうなんていえる値段ではない。



私は西日本の人間。
ごめんなさいと思っても、節電もあんまり意味がないようです。



会社でも寄付をつのる回覧がまわり。
かなりたっぷりのお金がつまっていました。
こちらにも寄付をして、その後、日本赤十字社に1万円ですが心ばかりの寄付をしました。

継続できるかどうかがポイントなので、無理をしないところから、まずはスタートとしました。



福岡在住の私として意識することは、お金を使うこと。
どんどん仕事をがんばって、お金を稼ぐこと。
税金をちゃんと払うこと。
真摯に働くこと。
元気でいること。



今週末、3連休で沖縄に行こうと思っていたのですが、キャンセルにしました。
何かあるとしても、福岡にいて何かに遭うほうが、沖縄で何かに遭うより納得がいくと思ったのがその理由です。
ほんとは経済をまわしていくために、旅行は行ったほうがいいのだけれど。
沖縄に行けば、ステーキも食べるしロブスターも食べる。





とにかく物資がゆきわたり、みんなが満腹に食べられることを願います。



私はレスキューレメディを飲みました。

そろそろ、暗い気分から脱出しないとね。
お通夜を続けていても、何にも変わらないよね。
福岡は、被害なんて何もないのにさ。




ただ、関わり合う人たちが被害に遭っているのはわかるから、それだけが辛いね。

2011年02月20日

しごとの厳しさ

最近の自分の悩みを考えつつ、1週間前につくったトリートメントボトル。

内容は、
【ラーチ】自信をもって行動する
【ゲンチアナ】悲観的にならずに行動する
【ホーンビーム】あとのばしにせず行動する

全部に関して、行動することが目標なわけです。

最近の悩みは、とにかくしごと。

とにかく残業が多い。
仕方がないのですが残業が多い。
家に戻ると、何もする気がしない。
本だって書くべき、ブログだって更新すべき。

そして、会社では優秀に見える人が多い。
ここまでは、今のジャンルのしごとでいえば、だいたい自分がその置かれた場所では、いちばん優秀だったはず。
でも、そんな感じがしなくなってきています。
わたし程度のしごとぶりは、ほんと普通。

もともとの力、地頭がとてもよい人が集まっているな、と感じることが多々あります。
私が3回どころか、過去に何十回繰り返したのかが、とうていわからないほど、何度も繰り返してようやく身につけたことを、基本的に1回で覚えられる種類の人たちが集まっている気がする。
これでは、私はどう張り合っても地頭で叶うわけがないな。
私の勝手な思いこみだけでなくて、どうもこれは事実で。
去年の9月に転職してから、ずっと頭の片隅にあったことが、はっきりとしてきただけ。

ただ、私の場合はその何回繰り返すかわからない、といった経験を、すでに10年以上おこなっていて、だから今のところは、ここまでの経験則による知識が大きくて、かろうじてができているだけ。

もちろん、その種類のしごとを選び、転職しながらも、継続できていることそのものがすごいわけで。
それらは途中で新しく転職してきた人には手に入れられないものだけれど。
ただただ、自信がなかったです。

最初から徹底的に同じしごとをきわめている人には、まったく追いつかないし、
新しくこのしごとに入ってきた人の基本的な力というのは、私から見たらハイレベルだし。

私は、なかなかほかの人には真似できない実務経験を持っていることから、基本的には誰かに嫌味をいわれることもない、有利な立場にいるのですが、私よりもさらに継続してきた力や、新しくしごとをはじめた人の力を見て、これは私はついていけていないわ、と思っていたわけです。

今でも他の人のすごさはとても感じます。
でも、それで自信をなくすことはなくなってきました。
悲観的にもなりません。

どうしてか?

自分が”できること”も”有利なものごと”も、自覚できたからです。
口先や表面的な気持ちで”自分ができること”をわかっているという問題でなく、ここまでの実務経験と、この場所における、自分の中途半端な力を受け入れたということ。
あとは、この場所で真摯に努力するしかないですよ、と思いました。
やるだけやって、自分の力が足りないなら、仕方がない。やむを得ないです。
でも”ダメ”とか”無理”って結論を、今、この段階で出す必要はまったくないわけで。自分の必要な勉強について、まだ追求もできていない段階で、いったい何をいえる?
ずっとがんばっている感じはしますが、ひとがしごとをしていくということは、がんばりの連続の感じがします。精進しようと思います。

文章も、地道に書いていけています。
さぼったりもしていますが、からだに留意しながらも継続すること、休まないことが、私にとっての最重要課題だと思うからです。
これもひととしてのしごと。自分の力を構築するひとつの努力。