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2007年03月20日

福岡県西方沖地震

2年前の今日は、日曜日、いいお天気でした。
とある福岡市内のビル11階で模擬試験中に、いきなり体全体を強く揺すぶられて。
エレベーターは使用不可。ビルのガラスは大きく割れて。別のビルの窓ガラスは、ぼろぼろに崩れていました。

緊急事態のため、模擬試験は中止。仲間4人とマックでごはんをした後、近所に住む仲間の家の地震後の、片付けに行きました。でも、ものすごい揺れだと聞いていた中央区なのに、意外と簡単にお片づけ終了。だから、『きっと、うちもたいしたことはないや~♪』と思いつつ、午後3時くらいに自宅に戻る。

でも、家の付近を見てびっくり! 近所のブロック塀はばらばら落ちているし、自宅の壁にはヒビが入っているし、カギがかかっているはずのうちの部屋の窓が全開。

『多分家の中は、すごいことになっているはず』
階段を急いで上がり、見たのが、この写真の風景。

2005.03.20 自宅の状況

足の踏み場もございません。テレビも食器棚も、みんな落ちちゃいました。バラバラものが壊れ、冷蔵庫は全開(すぐに閉めました)、場所も勝手に移動している。しばらく、呆然でした。

博多区は比較的揺れていないと、情報を受けていたのにー。
ヒール靴をスニーカーに履き替え、お掃除スタートです。

まずは軍手着用。ガムテープと新聞紙を片手に、ゴミ袋に割れたガラスなどをどんどん詰めていき、電気は何とか使えたので掃除機もかけ。何とか眠れる状態になったかな、と思ったのが午後8時。
食べ物を買いに近所のコンビニに行くと、簡単に食べられるものはほとんど売り切れ。考えることは一緒だわ、きっとみんな片付けでくたくた。

阪神大震災とは全く比べ物にならない状況のはずです。でも、本当に怖いしばらくを過ごしました。
翌月4月20日にも同じ程度の揺れが早朝にあり、またもや同じお掃除と恐怖の繰り返しです。その後も数ヶ月間、余震がかなり続きました。

先月の第1回長崎すぴこんで、お客様と、福岡県西方沖地震が怖くて仕方なかったという話をして、あのときのことを思い出し、私が泣けてきました。あのときのお客様、心配をおかけしてごめんなさい。きっと、辛い記憶を持つのは一緒ですよね。

私は怪我もなし、家のドアが閉まらなくなったといったこともなし。大事な人を失ったわけでもありません。それでも今も衝撃は残っています。

場所や状況によって、どう怖いかということなんて、近隣の場所に見えても全然違って。その人の立場になってみなきゃわかんないよって痛感しました。

そのときは、バッチフラワーにはめぐり会っていましたが、原液はほとんど持っていませんでした。当時受けていた、バッチフラワーのコンサルテーションのタイミングも合わず、辛かったです。
レスキューだけでも飲めたらよかった。忙しすぎて気持ちを感じる余裕もなかった。自分で『やばい』って気づくこともできなかった。

自分に余裕がなければ、周りに対しての気配り思いやりも”本当”のところは、私には無理。
無理じゃない人を、本当に尊敬します。

何かの助けって知れたものです。本当に大変なところ、辛いところは自分で越えるしかないです。
でも、バッチフラワーが、そういうときの助けになれば本当に嬉しい。
小さいことのようで、かなりな助けになるものだと思いますので・・・。

今日、このまま辛かったら、レスキューを、この後ちょっと飲んでみようと思います。
2年前は変えられないけれど、今は変えられます。

今回は実験なしで書いてみた、はじめての「実験コーナー」ブログです。

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