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2013年09月11日

2013年7月19日(金)手術当日

この日は朝6時ほぼちょうどに看護師さんがベッドにいらっしゃる。
あれだけ出しているのに、浣腸をするとのこと。
朝になるまで20回以上の強制お通じ。
もうこれ以上何もしなくて構わないでしょうと思います。

が、やっぱり浣腸をするとのことで、大部屋の他の方がおトイレに行った後に浣腸をすることになります。




その後は手術着に着替えて午前8時の手術室出発までのーんびり。
ここでまた家族の付き添いが必要になるということで、病室に来てもらいました。
手術中は両親とも、とても暇だろうなと思うと、ごめんなさいと思います。

午前8時に車椅子に乗せられ手術室へGO!
車椅子に乗せられている方がたくさんいましたが、当然目的は同じで、手術室への共同入り口を入ると、冷凍庫みたいな入り口がたくさんあり、まるで冷凍庫行きの業務用食材みたいに車椅子で運ばれていきます。




あとは、
自分でベッドに乗り、
看護師さんにタオルをかけてもらい、
手術着を脱がせてもらい(これくらいなら自分で脱ぐといいましたが)、
心電図をつけ、
点滴を開始し、
横を向き
背中に麻酔をし、
普通に仰向けになり
酸素マスクがつき、
点滴から麻酔が流れると

意識不明の重体???
3時間ほど眠りました。



午前11時40分頃、無事意識も現世へ生還。
筋腫をビニール袋の上からさわり、麻酔により感触はよくわかりませんでしたが、担架でそのまま回復室へ運び込まれます。



いろいろなものがからだについているようです。
心電図と尿カテーテルと背中の麻酔と点滴と。
そうそう、点滴は気づけば右側と左側と両方についていた!
最初は左だけだったはずなのに。




ただそんなことより寒いのです。
ふるえるので、電気毛布でめちゃくちゃ温めてくれているようです。
真夏なのにね。
裸で手術をすればそりゃあ体温も下がる。

回復室に移動して、わたしはただ眠るだけで、いてもらっても仕方がないので両親には帰ってもらいました。



眠ったり起きたりで、体温も戻り、気づけば午後6時。
とはいっても絶食だしからだも起こせないので動くことはできないわけです。
ベッドの角度を変えることも今日は禁物。
でも、暇ですね、という話にその時点でなりました。
要は気分も悪くないし、たっぷり眠ったし、といった、目覚めの気分よい状況です。

今日は何もできない前提で、お財布も携帯電話も両親に預けていて何も持っていない。
すこし考えて気づきました。
昨日購入したテレビカードがあるではないですか!
早速看護師さんにお願いしてテレビカードをカバンから取り出してもらいセットしてもらう。




で、テレビを午後9時まで見ていました。
手術当日、これでよいのだろうか。


手術の難易度と術後の経過はまったく違うらしい。
わたしは出血多量で手術時間が結構かかる予定だったらしい(が、出血はなく、お昼の仕事をちょこちょこ休みながら大変な思いをして貯めた、自己血を使うこともなく)。だから、早く回復室に帰る予定もなく、午後6時から暇だからという理由でテレビを見る予定もなく。
昼の看護師さんも夜の看護師さんも、早く回復室に帰ってきたから暇である的な、似たことを話される。
どれだけ、わたしの手術に時間がかかる予定だったのかと思う。



隣の部屋ではとても気分が悪そうな状況がずっと続いている。
同じような手術でも、麻酔でも、状況は違うのね。

わたしは大丈夫だ(ろう)から、隣にどんどん行って差し上げてくださいと言いました。あまりにかわいそう。
隣の部屋の方の気分が、早くよくなりますように。




ただ、さすがに午後9時以降のジブリアニメを見る体力は続かず、再び睡眠に入ります。

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